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アーティスト:伊佐治雄悟、今井大介、大野綾子、真部知胤
湖畔で出会った釣り人同士が釣りの話をするように、見知らぬ人と彫刻の話ができたらどんなに楽しいだろう。日常の中で、もっと当たり前に彫刻の話ができたらどんなに嬉しいだろう。たまに、そんな他愛もないことを夢想する。
歴史を振り返れば、彫刻(のみならず美術全般)はその要素を分析し、取り出した一部の要素を展開させることによってジャンルの範囲を拡大してきた。定義の曖昧さもあり、英語のsculptureという語はほとんど、彫刻的、という意味合いにまで拡大した。彫刻とは今や彫刻的な概念を含むあらゆるモノ、あらゆるコトについて言える(はずである)。
にもかかわらず私達は目に入るモノに対し、ほとんど無意識のうちに彫刻と呼ぶべきか否かの線引きをする。作品に対し、彫刻という言葉を使うか否か、の選択をする。彫刻的な要素は多分に含んでいるものの、彫刻と呼んでしまうことはためらわれる、と感じることもある。私達は一体何をもって彫刻だと感じるのだろうか。彫刻の定義は曖昧で、個々人によってもだいぶ違う。また、ためらいの多くは固定観念に由来する。それは料簡の狭い思い込みではあるが、馬鹿にはできない。狭かろうが広かろうが皆どこかに、曖昧な"彫刻"なる線引きを持っているのだから。
要素を分析することは、漠然とした全体を考えるうえで欠かすことができない。しかし彫刻的要素が含まれているだけでは、そのモノを必ずしも"彫刻"と呼ぶことはできない。ましてや彫刻という線引き自体が人それぞれに違う。本展は「彫刻家」を名乗る四名の展示である。この中でも彫刻の線引きには各々違いがある。しかしながらそれぞれが歴史から彫刻的要素を分析し、考察や実験を繰り返しながら、それでもなお根拠の不確かな(自らの)彫刻なるものを立ち上げていく、という点に違いはない。その循環によってのみ観念は更新され、"彫刻"の輪郭は広がることができる。要素の細分化と解釈の拡大の先に、もう一度、雑多な総体としてそれらを立ち上げること。"的"という明らかなものの先に、わからなさを見つめること。彫刻家の仕事はそこにある。
てき【的】
〖名〗①まと。めあて。「射━」「目━」
②あきらかなこと。間違いのないこと。「━然」「━確」
③(中国語の「的」(助詞の「の」にあたる)をそのまま音読した語)名刺に添えて、その性質を帯びる、その状態をなす意を表す。「私━」「一般━」
字源:会意形声。「白」+音符「勺」(シャク:一部を取り出す様子)、一部を取り出して明白にするの意。
(広辞苑第四版、及びウィクショナリーより抜粋)
【イベント】
●オープニングパーティー 1月12日(土)18:00~
●トークイベント 2月2日(土)16:00~17:00
歌人の永井祐(ながい・ゆう)さん(1981年東京生まれ 2012年、歌集「日本の中でたのしく暮らす」を発表)をお迎えして、日常の感覚や現代性、ジャンルと形式、などをキーワードに話をしていきます。
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