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「神話と発話、システムと人」
神話とは、ことばである。無論、神話とは世界の理を表すが、ここには二段階の言語化のはたらきがある。すなわち言語をもって世界を切り分けたとき、第一の言語化としてラングが生まれる。次いで世界の始まり、死後の世界、しきたりなどを神話によって別の表現に置き換えるランガージュとしての再言語化がある。神話はメタ言語として、二次的な言語としての"ことば"なのである。
神話の表象は『ギルガメシュ叙事詩』以降、世界文学として複製と改変を繰り返されてきた。表象は英語でrepresentationと表記することができ、同時に再現前、代表そして上演という意味を含む多義語である。今回、上演する『イシュタルの冥界下り』はシュメール語で書かれた『イナンナの冥界下り』がバビロニア語で再構成されたものである。神話であれ演劇であれ、表象とは常に複製性を有している。
ではなぜ演劇にはアウラが、一回性があるのか。小説家は読者へエクリチュールを与えるが、読者はこのエクリチュールを読みはしない。読むことによる再解釈をして初めてエクリチュールは生成されうるからだ。また小説家のアイディアは小説と等号では結ばれない。なぜなら書くことによる再構成なくして小説足りえないからだ。同様に演劇も演出家から演者へ、演者から観客へのrepresentationのはたらきを通してのみ生成されうる。観る主体こそが演劇にアウラを、一回性を与えるのだ。
神話は常に二次的な言語として世界の理を表した。本公演では神話のテクストに忠実なままに、『イシュタルの冥界下り』と『ドゥムジとエンキムドゥ』を上演する。『イシュタルの冥界下り』では発話としての声(パロール)が持つメディア性の再発見を、『ドゥムジとエンキムドゥ』では演劇の形式性によって実存を描く試みを行う。演劇の持つ構造的なアウラと共に、新しい一回性を提示する意欲を肌で感じていただきたい。
(ドラマトゥルク 藤野惇)
[演出]アイスカハラ
[出演]中村穂乃香 田村亮太 針谷慧 アライリョウタ
[照明]関口耀生 [ドラマトゥルク]藤野惇
[協力]中村美波 雨宮信人 シバイエンジン
ご予約は http://481engine.com/rsrv/webform.php?sh=2&d=a9721c4079
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